ピアノは生きている。

上の娘が動画を見ながら独学で毎日キーボードを弾いていた。いつの間にか上達して、鍵盤が足りないからピアノが弾きたいと言い出した。私のように習うと『ピアノ=練習』になってしまうが、本人はただただ弾きたい想いが先行しているから、義務感なく飽きずに弾き続ける。自由に音楽を楽しむ、そのものだ。

実家で眠っていたピアノを雪深くなる前に運ぶことにした。まず専門の運送会社に相談したら、3人の男性が家の間取りと寸法を確認しに来て下さり、迷いなく安全に運び出せるように打ち合わせをしてくれた。信頼できる安心のもと、富良野へ運ぶ予約を入れた。


ピアノが我が家へ来る日。窓越しに娘達と待っていたら大きなトラックが来た。大きな窓に横付けして、男性2人がピアノに衝撃を与えないように慎重に扱いながらも、精一杯の力で家の中へ入れてくれた。頑丈な紐で体とピアノをくくりつけて運ぶ様子は昔と変わっていない。幼い時、緊張感のある瞬間を私はじっと見てた。同じような様子で娘達もじっと見ている。ピアノを運ぶにはお金だけじゃなく、専門職の力のある男性が真剣に関わらなければ運べないのだ。


そして昨年末、調律の日。娘がどうやって音を合わせるのかとても興味を持っていたので、子供が家にいる日に旭川の調律師さんに来てもらった。その方は七つ道具のような年季の入った革鞄と共に、ピアノを丁寧に隅々チェックしながら清掃から調律まで仕上げて下さった。子供達にピアノの歴史的な話から、音のなる仕組みなどクイズ形式で楽しく教えて下さり、調律師さんのピアノや仕事への愛情がひしひしと伝わってきた。とても贅沢な時間だった。自分以上に自分のピアノを大切に扱って下さる様子をみて、何十年も調律しなかったことをピアノに申し訳なく思った。


調律後、「お姉ちゃん、何か弾いてみて」と言われ娘が弾いた。初めの音をポロンと弾いただけで、その圧倒的な違いに感動した。透明感のある明るく澄んだ音。みずみずしさを取り戻したような、生き生きした音色。娘達もその音の違いを肌で、生で感じることができた。きっと大人になっても忘れない瞬間だったように思う。愛ある調律師さんとの出会いに感謝。これからもずっとこの方に我が家のピアノを見てもらおうと思う。


そう、ピアノは生きている。そして我が家へようこそ。これからよろしくね。